テレビをみていたら桂枝雀がこんなことを言っていた。
「自分のことばかりを思っていたら、自分を滅ぼす」
「他人のことを思うことが、自分を思うことになる」
鬱病を患っていたという経験からくる言葉の含蓄もあるが、本人はその死まで遂に鬱病を克服できなかったようだ。
聞いた当初は「なるほど確かに」と思う部分もあったのだが、こういった言い回しにどこか違和感を感じる自分もいた。「他人のため」「家族のため」「子供のため」。〜のため、と色々と理由は付けてみても、結局は自分を隠すオブラートに過ぎないのではないのかと。
桂枝雀は、今までは自分にあう仕事を選り好みしてきたが、他人のことを思うならばなんでもござれで仕事をしなければならない、というような発言もしていた。それも極端な話だと思う。面倒な自我を捨て去って、聖人よろしく他者の視点から自分をみることで自分をより良く生かすということなのだろうが、自分という存在が消せる訳でもないし、結局は上でも言った「他者からの視点」というものに擬態した自分からの逃避に過ぎないのではないか。
社会通念上「他人のため」という言葉は非常に耳障りがよい。「自己犠牲」も同じようにもてはやされる概念だ。
ただ、それらがもてはやされる理由も同じように考えなければならない。
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