2009年5月31日

幻想曲風ソナタ Op.27

今回は「月光」として知られるベートーヴェンの名曲を取り上げる。

「月光」は実際は連作の一部で、「幻想曲風ソナタ」作品27の2として作曲されたものである。
また「月光」という標題もベートーヴェン自身が付けたものではなく、死後に同時代の詩人によって付けられたものだ。
確かに「幻想曲風ソナタ2番」や「作品27の2」などと呼ぶよりもその曲をイメージしやすいし、記憶にも残る。
ただそのイメージ対象は、3楽章全体というより第1楽章に限定されている点で、曲全体を表したものだと思うと誤解を招く。

作品全体を通して聴いてみると、「幻想曲風ソナタ1番」は2番との関連性を見出すのが難しいほど曲調が異なる。
昨年 Leif Ove Andsnes のリサイタルに行った際に、プログラムで行われた「2番」に対してアンコールでこの1番が演奏されたのだが、その時はまだ聴いたことがなかったため、演奏前に「ベートーヴェン」と奏者自身が言っていたものの、なぜこの曲が?という感想しかなかった。抑え気味ながら全体を通して明るく軽快な曲調は、 続く陰鬱で感情的な2番とはまるで似つかわない、平穏な時間が流れている。

そして2番は「月光」という標題も影響してか、非常にゆっくりとしたテンポでシンプルな和音が刻まれる。
第1楽章だけで聴いてみると、確かに「ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」というイメージにも納得するのだが、第2、第3楽章はそのイメージからはほど遠く、自分がイメージする限りでは第1楽章は「しめやかな小雨」、 第2楽章は「つかの間の晴れ間」、そして第3楽章は「急転の嵐」という感じだった。雨の風景描写としての一貫性がそこにはある。

ただ、こうした一般的な自然描写のイメージに対して、そうではない解釈もある。

「月光」はピアノ・ソナタとして最も好きな曲であるため、何人もの演奏者のCDを持っているのだが、その中でも András Schiff の演奏は衝撃的だった。テンポが非常に速く、通常第1楽章に 5 分 30 秒〜6 分 30 秒程度かかるところ、たったの 4 分 30 秒にまとめているのである。Schiff 自身はその解説で、「むやみに詩的になることは避け、リストの風景画よりはバッハの前奏曲を思う方が有益でしょう」と語っている。バッハの前奏曲がそう意図しているかどうかは分からないが、確かにこうした方が自然描写というよりも、悶々とした人間の感情をよく表現しているように思った。もともと伯爵令嬢であったジュリエッタ・グイチャルディに捧げるために作曲されたものということや、第3楽章にかけての感情の高ぶりといったものが、この構成によってよく分かる。

よく「女心と秋の空」という言い方をするが、人間の感情と自然描写は近い関係にあるということだろう。
絵画における自然描写にしても、実際はそれを描いている描き手の心理を表現していたりするものだ。
音楽の場合、それが演奏者の解釈で表現できる点が面白い。
テンポを遅くすることで自然描写が可能になる点は、自然の方が人間より大きな時間で流れていることを感じとっているためだろう。
たったそれだけのことで人間の感情をより普遍的、一般的なものに昇華させ、それは万人の共感を得ることに繋がる。

たったそれだけのこと、といったが、名曲だからこそそれが可能なのかも知れない。
クラシックが聴き継がれる理由のひとつがここにあるように思う。


自然描写の一枚

人間描写の一枚

0 コメント:

コメントを投稿